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こんな育児がしたくて子ども産んだんじゃない

雨の日曜日は朝からテレビ漬け。
起きたら自動的にテレビのスイッチを入れる子ども達。
見たい番組争いで兄弟喧嘩が勃発。

テレビ画面からは、朝に不釣り合いなほどの爆発音やサイレン音が鳴り響く。
いつもいつも戦いしている。
いたずらに恐怖心を煽り、刺激だけが増えていくテレビ番組を、あまり見せたくないのが本音だ。

けれど、夫は気にせず一緒に楽しんで見ている。
側から見れば、平和な家族団欒の絵面の中で
私一人が、音のテロに耐えきれずに苛立っている。

夫婦で育児の価値観が違うものだから、私だけが不協和音の原因となる。
テレビから発せられる音が、私は耐えらない。
家族全員大丈夫なのに、私は無理だ。

与えられることに慣れてしまっているから、
番組が終われば「つまらない」「つまらない」の連呼。

買い物に行けば、子どもの目の高さに陳列されたお菓子に、子どもは「欲しい」「買って」と騒ぎ出す。

それを制する親と、子どもとの攻防戦に見えて、実は企業と親との戦いであることにも気づいて、虚しくなる。

機械に向かってお金を支払い、
中身よりもゴミの方が多い商品をがさがさと破り空け、
そのゴミの処理に対してまた目を光らせる。

この買い物から、口に入るまでの間のどこに喜びやコミュニケーションがあるのだろう。

親が一人で抗えることなんて、たかがしれてる。

それでも、どんなクオリティの高いおもちゃやゲームよりも、
木の葉一枚に想像力を広げて遊べる子どもであってほしいという思いがある。

どうしたらそんな子育てができるんだろう。

消費社会、子どもファースト社会、競争社会に、ワンオペ育児、そして監視社会。

ここから離れて生きること、育てることができるのだろうか。
窓を開け、空を見上げる。

胸の苦しみが喉の奥に詰まっている。
それを吐き出すように、絞り出すように、助けを求めるように、空を眺めていた。

私の望む子育てを体現しよう

私は、子ども達を、雨の森へと連れ出した。

 

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