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罪悪感

登山道に、切り株が点在している。
人が歩くために、そこにあった木々が伐られたのだろう。

切り株を目にするたびに、少し痛々しく、申し訳ない気持ちになった。
すると、頭の中に、こんな言葉が過った。

人と自然とを分ける必要はない
ここでは自分が人間だという認識もいらない

人間が加害者で自然が被害者と認識している自分、
むしろそれが自然に対する己の謙虚さであるとさえ思っていた。

けれど、それすらいらないという。
そもそもそれは、人と自然との分離意識から出る発想だから。

自然はいつも一瞬にして私を赦してくれる。

森に来るようになってから、私の中に「罪悪感」という感情が強くあることに気づいた。
自然はそれを、いつもいい意味で相手にしてくれないという感触がある。

今回もそうだ。
そもそも、自然には「罪悪感」という観念がないのだろうと、人間特有の感情なのだろうと思うようになった。

確かに

「地震起こしてごめんなさい」
「噴火してごめんなさい」
「雪崩起こしてごめんなさい」
「台風多くてごめんなさい」

そんな意識を自然が人間に対して抱いているようには思えない。
人間が自然に対して感じる、加害者意識さえ、ともすると傲慢なのかと思うのだ。

自分を人間と思わなくていい。

その言葉は、自然に対する加害者意識からくる「罪悪感」を癒すだけでなく、
自然の一員として迎い入れてもらえたよう安堵感を感じる言葉だった。

 

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