百の手しごと

色は生きている

Webコンテンツ制作の仕事に携わっている自分が、自然界から色を抽出する草木染めに夢中になるなんて、思ってもみなかった。

人差し指一本で、無限の色彩を操れる自由と面白さ、可能性の中にいたのに、
自然の植物から色を取り出して染める草木染めは、
一色を出すのに、1日がかりな上、こちらの欲しい色は大抵出てこないという現実。

美しい染液が抽出できたとしても、
染めて、媒染して、水洗いしたら、その過程で変化して、思いもよらない、大抵予想外の色に落ち着く。

媒染方法を変えたり、
染める物を変えたり、
染色方法を変えてみたり、

一つの植物から出る色と何日もかけて向き合うと、
こちらが望む色を取り出すという概念がいかに傲慢かということに気付かされる。

色は、植物の個性であり、アイデンティティであると気づくと、どう引き出せばいいか、その命、そのアイデンティティと真摯に向き合う謙虚さが生まれてくる。

それを楽しみに、色をいただく。

そう思うと、赤い染液から緑の染物が生まれる様を、感動を持って引き上げることもできる。

そこで発色する色には、奥行きと味わいがあり
なんとも言えぬ愛着が生まれる。

何百もの色のパレット、グラデーション、明暗・彩度・・・
様々な色を人差し指1っ本で着色できる現代で、

1色を出すのに四苦八苦している様が、我ながら面白く感じてくる。

こんなにも引き込まれてしまった理由を一言で言うならば、

色は生きている。

そう感じられたからだ。

植物から色を出すということは、その植物の命と引き換えに色をいただいている。

その取り出された色は、母体を離れてもなお、まるで意志を持つかのように変化する。

その様子を見ていると、色が生き物のように感じられてくるのだ。

今夏、畑の赤紫蘇で染めた色は、緑、ピンクそして灰色がかった薄いピンク。

私のパレットにはまだこの3色しかないけれど、
生きた色を使う喜びを知った今、
数多の色を欲することはなくなった。

むしろ、1つの植物から出る1色を、もっと追求したい。

一色一生 

(染色家 志村ふくみさんの言葉)

どうやら私は、深い深い色の世界に、足を踏み入れてしまったようだ。

 

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