ブログ

ご先祖様から受け継いだもの

私の実家は、戦前から続く下町の老舗そば屋で、関東大震災直後のほったて小屋で、曽祖母が始めました。
その後の東京大空襲でも、奇跡的に焼け残り、もうすぐ創業90年を迎えます。

震災も戦争もくぐり抜ける親世代の姿を見て来た祖母はいつも

いざという時お金は食べられないけれど
食べ物は食べられるから、食べ物商売をするんだよ

と常々言ってたのを思い出します。

その娘である母の口癖は

家はご先祖さまが守ってくれてるから何があっても大丈夫

でしたから、子供の頃から

家は焼けない
家は潰れない

という絶対的な前提を感じ取って育ちました。

2011年の震災の時も、
帰宅困難者でごった返す店内で
早々にそばも売り切れる中

もう売るもんがないな

と、残ったうどん粉ですいとんを作って振舞っていた父の姿を思い出します。

いざという時の底力と生きる力に
安心感と頼もしさを抱いたものでした。

商売とは、私にとって
それくらい生命力と安心感をもたらすものでした。

それが、結婚して、
新興住宅地で、会社勤めをしながら
核家族でワンオペ育児。

真逆の世界の中で
漠然と感じていた不安の理由が、ようやく分かってきました。

やっぱり、目の前に、
食べ物と人の繋がりがなかったら
いざという時生きていけないと
危機感を感じていたのでしょう。

私が信頼してるのは「原材料と人の営み」

この両方があればどんな状況でも生きていけることを
家業を通して刷り込まれたように思います。

だからこそ、原材料と手仕事に対する欲求が、
本能レベルであるのでしょう。

今は、喜びに従うように農に携り
手仕事を覚えています。

農に携わることは、豊かさの体感であり
手仕事を通じての出会いは、安心感を伴います。

これが、自分の原体験から続いてる道だったのだと気づいて、見えない繋がりを感じました。

90年前、焼け野原の東京で、
女手一つで起業した曽祖母の血が
私にも流れている。

この血があれば、
私はどんな状況でも生きていける。
そんな底力が湧いてくるような、今回の帰省となりました。

関連記事

新着記事
会員限定
おすすめ
PAGE TOP
ログイン 会員登録
会員登録